なんで広報になったの?私の幸福に最も近い「広報」という仕事の魅力(学生時代編)

お久しぶりです。pecoです。
ついこの間まで学生だった気がするのですが、世の中的にはもう中堅と言われるお年頃になってしまいまして…(恐怖)
仕事で出会った人や友人に「これまで広報一筋なんですか?すごいですね」と言われることがたびたびあります。

私は、思えば、大学時代コミュニケーション学の入ゼミ試験を受ける時から
「広報になりたいんです」
と言っていた気がします。

PR会社での新卒1年目、入社間もない頃にも、私は覚えていないんですけど、
「広報は天職だと思うんです」
と先輩に語っていたそうです。今更恥ずかしいんですけど。

一体学生時代や新卒時代に広報の何を理解していたんだって話なんですけど、漠然と、引き寄せられるものがあったんだと思います。そういう直感は本能に近い部分が求めてるってことだから、けっこう当たるんじゃないかと信じている方です。

そして、「天職」かどうかはわからないけれども、世の中に数ある職業の中で、今のところ私の幸福やトキメキに最も近いところにある仕事が広報だという認識は変わりません。(1年後には全然違うこと言ってるかもしれないですが)

この経営推進ブログでは広報の仕事について紹介したことはありましたが、私がどんな思いで広報という仕事と向き合っているのか個人的なことを語る機会はこれまでなかったので、改めて、まとめてみようと思いました。

今、じげんでは広報を募集してますが、スキルとか仕事内容とかいったん置いておいて、こんな人がじげんを選んだんだってことが伝わって、共感できる部分があれば、もしかしたらじげんで広報を選択するということはまだ出会っていないどなたかの「幸福」な選択肢になり得るのではないかという思いで書きます。

話したいことがありすぎるので、まずは学生時代に考えていたことからです。超真面目な内容かつ長文なので、興味の無い方はスルーしてください。

1)女性でも資格がなくても、長くキャリアを築ける専門職

両親が小学校一年生の頃に離婚した我が家。母子家庭になって、私の出産を機に仕事を辞め専業主婦だった母は、再就職にとても苦労しました。
その後、デザインというスキルを持っていたことが、母の40代の未来を切り開き、私の塾の学費や弟の私立の中学の学費まで払えるまで自立していく姿を見ました。
統計的には貧富の差が教育格差になり、やがてその貧困が世代間で連鎖するこの社会で、平等に教育機会が得られたことは本当にありがたいことだと思っていました。

人生何があるかわからない。選んだ会社は倒産するかもしれないし、結婚したからめでたしめでたしでもない。そんな人生の波乱に対するリスクを最小限にするには、「女性が一生働き続けることのできる仕事」でかつ「会社の枠を超えて役に立つ専門職」が適していると思いました。

ただ、ここからが難しくて。小さい頃から「夢は魔法使い」なんて言っているくらい、現実世界になりたい職業が全然ありませんでした。
数字は見るのも嫌なくらいだし、理系で研究職も無理、法律も興味が持てない。接客も向いてなさそう。母のように、緻密にクリエイティブなものと向き合ったり、ものづくりするのも苦手。
体力がないから、身体を動かしたり、ものすごいハードな現場にいくようなのもたぶん無理。できればとりあえず四苦八苦するに違いないファーストキャリアで生まれ育った東京を離れたくない。通勤ラッシュもちょっとなー。(かなりワガママw)
「13歳のハローワーク」なんかも読みながら、やってみたい仕事がない!と考えていく中で、広報だったら、興味が持てそうと思いました。
理由は後述しますが、広報の世界では女性が当たり前のように活躍しています(かといってザ女性社会みたいな職種でもない。そういうのは苦手)。

いきなり消去法かって感じですが、世の中にどんな仕事があって、それが実際どんなふうなのか、わからなかった私にとって、初めて希望を感じられた仕事だったということです。

2)「人見知り」だからこそ!コミュニケーションを創る人になりたい

小さい頃から極度の人見知りで、方向音痴なのに道が聞けなくて悩んだり、パーティーですぐ壁の花になってしまう私。
何も準備をしていないと、初対面の人と話すときは顔がこわばってしまって、会話もぎこちなくなり、年上の人には生意気と言われ、同年代にはノリが悪いと思われ、年下には怖いと噂されてしまいました。
なので、とても仲良くなりたい人が現れたら、いつも頭の中で綿密に戦略を立て、シミュレーションしていました。共通の話題を創るために、しばらくは複数人の輪の中でどんなことで盛り上がる人なのか観察し、先に好きなものを調べて経験してみたり。適切なタイミングでのサプライズプレゼントや二人で行く場所の提案をします。迷惑にならないタイミングでの気持ちの伝え方も重要です。

そして試行錯誤を繰り返していくうちに、仲良くなりたいと思っていた人と少しずつ距離が近づき、良い関係を築くことができます。その時の嬉しさといったらもう。
ただ「自分のことを知ってもらって仲良くなりたい」というだけなのですが、何を、どのように、どういう順番で伝えるべきか、目的を達成するためのコミュニケーションには戦略が必要だと昔から思っていました。
大学でマーケティングやコミュニケーション学を学んだときに、そういうことが専門領域として研究されていることを知りました。そして、そういう知識が活かせる業界として広告業やPR業(あるいはメーカー等のマーケティングや広報部門)があることがわかりました。

これは今は認識を改めていますが、当時の企業研究レベルの知識では、広告はコミュニケーションをビジネスにしていますが、究極的には「媒体を売る」仕事だと当時は思っていました。一方でPRや広報はもっと本質的に「コミュニケーションを創る」仕事だとわたしは思っていました。
「人見知り」だからこそ、もっとコミュニケーションを極めたい。また、この伝えるために、阿呆みたいに真面目にステップを考えてしまう私の思考傾向は広報の仕事に活かせるんじゃないかと思いました。

あとは言葉が好きだったのもあります。本を読むことが好きで、全科目の中で国語が一番得意でした。ただ、小説家や文筆家になっても特に伝えたいことがなかったので、依頼されたものを言葉にすることで、ライティングスキルを磨けるのも魅力的だと思いました。(その後、新卒でプレスリリースを書いて自分の日本語力の無さに愕然とする)

3)未来の「ベビーカステラ」を見つけるためにいろんな人に出会いたい

私は「ベビーカステラ」が大好きなんですけど、そんなことが言いたいんではなくて。
「ベビーカステラ」ってどこの縁日にもあるけれども、実店舗はほとんど存在しないですよね。あのベビーカステラ焼き器みたいなテクノロジーも誰かが作ってそれが全国に出回っている。
そして今日もどこかのお祭りやイベントで誰かを笑顔にしている。
一体どういうカラクリでそうなったんだろうって昔から不思議でした。
でもきっとどこかで誰かが、伝道師になってたんだろうなぁと思いました。おいしいものが好きなので、食べ物が伝播する過程にも興味がありました。
食べ物ってそれ自体が媒体になり得るものだと思いますが、とはいえ、何もせずにそんな広まるものなのかな。

一度、老舗ベビーカステラ屋のおばあちゃん(そのおばあちゃんのお店は縁日で長蛇の列ができる。その道○十年のベテランのお方。)にインタビューしてみたのですが、最初の頃は中にあんこが入っていないベビーカステラという食べ物の反応はあまりよくなかったそうです。
けれど、だんだんと自分の屋台以外にもベビーカステラを出すお店が増えていったといいます。

明確な答えはわからなかったんですけど、普及するまでにはやはり地道な広報のステップがあったんだと思っています。
人の五感を刺激する匂いや、食べたときのおいしい!もある種のメディアになって広がっているんだと思いますが、この世の中には誰かがつくりたい、広めたい、広まったらこれだけの人の世界が豊かになる、問題が解決できる、というようなベビーカステラの卵的なものがたくさんあるのではないかと思いました。

その何かを見つけたときに、自分の専門性でお手伝いができたら、それは私の人生において、とても幸せなことだと思ったんです。
広報という職業で、そんな素晴らしい方々を見つけ出して、サポートする側にいきたいという、ぼんやりとしたビジョンがありました。

-to be continued-

(社会人編)はまた次の記事でお伝えします。